「ダブルミーニングだと思ったら違った」を避ける
作者が意図していないものを、二重だと読んでしまう。
考察や読解でよく起きることです。 そして厄介なことに、意図していたかどうかは本人にしか分かりません。
ダブルミーニングの考え方として、読み手側の判定基準を整理します。
そもそも「意図」は確かめられない
作者に聞いても確定しない
・後から「そういう意味もありますね」と言われることがある
・本人も無意識に選んでいることがある
・意図していなくても、テキストとして成立していれば読める
だから「作者が意図したか」を判定基準にすると、永遠に決着しません。
代わりに使えるのは、テキストの側の条件だけです。
テキストの側で判定する3段階
段階1:両方の意味が成立しているか
片方の意味を消したとき、文が成り立たなくなるか。
◎ 成り立たなくなる → 少なくとも【二重に読める】ことは確か
✕ どちらも残る → 二重ではない。読み手の連想
この段階で落ちるものが、最も多いところです。
段階2:周囲がその読みを支えているか
◎ 二つ目の意味を呼び出す語が、周囲にある(縁語の発想)
◎ 同じ構造が作品内で他にも使われている
✕ その一箇所だけ、突然そう読める
一箇所だけの符合は、偶然の可能性が高いものです。 同音異義語は日本語に大量にあるので、探せばどこかで重なります。
段階3:その読みが作品の主題と噛み合うか
◎ 二つ目の意味が、作品全体の主張と同じ方向を向いている
✕ 二つ目の意味だけが、作品と関係のないところを向いている
「うまい」と感じる条件 の条件2(意味が広がる方向)と同じです。 作品と噛み合わない読みは、たとえ成立していても意図ではない可能性が高くなります。
3段階を通っても「確定」ではない
ここが重要なところです。
3段階を通った → 【二重に読める】ことが確からしい
3段階を通った → 【作者が意図した】ことの証明にはならない
この2つは別の主張です。
◎ 書ける形 … 「二通りに読める」「そう読むこともできる」
✕ 書けない形 … 「作者は二つの意味を込めている」(検証できない)
これは記事を書くときの実務ルールにもなります。 ng-rules.md の誠実性ルールと同じで、 確かめられないことを断定しません。
読み手として、どう扱うか
◎ 「自分はこう読んだ」として持っておく
→ これは自由。読みは読み手のもの
✕ 「これは二重の意味だ」と事実として広める
→ 検証できないことを事実として流通させることになる
✕ 作者に「二つの意味を込めましたよね?」と確認する
→ [コツ](/kotsu/)の5番目のとおり、作者は答えられない。
答えた時点で、他の読者の発見を奪うことになる
作り手側から見ると
この現象は、作り手にとって悪いことばかりではありません。
読み手が二つ目を見つけてくれる
→ 意図していなくても、テキストとして成立していれば読みは成立する
→ [トリプルミーニング](/triple/)で書いたとおり、
「三つ目は読み手が見つけた」というケースが実際に多い
ただし逆向きの事故もあります。
✕ 意味ありげに書いて、中身が無い
→ 読み手が探して見つからないと、次から探さなくなる
→ [小説・漫画](/shousetsu/)で書いた、いちばん損失の大きい失敗
まとめ
- 「作者が意図したか」は判定基準にできない。本人にも分からないことがある
- テキストの側で3段階判定する。両方成立/周囲が支えている/主題と噛み合う
- 一箇所だけの符合は偶然の可能性が高い。同音異義語は探せばどこかで重なる
- 3段階を通っても「二重に読める」までで、「作者が意図した」の証明にはならない
- 書けるのは「二通りに読める」まで。「意味を込めている」は書けない
- 「自分はこう読んだ」として持つのは自由。事実として広めない